元女子バレーボール日本代表のエースだった栗原恵さん。
「プリンセス・メグ」の愛称で親しまれ、引退後も人気がありますよね。
栗原恵さんはバレーの強豪校へ通うために、中学2年から一人暮らしをしていたそうです。
今回はそんな栗原恵さんの中学・高校時代を中心に、卒業から現在の活動までをお伝えします。
栗原恵の生い立ちから小学校
元女子バレーボール日本代表の栗原恵さん。
出身は、広島県佐伯郡能美町(現江田島市)です。
父親がコーチをしていた「鹿川フラワーズ」で、小学校4年生からバレーボールを始めています。
小学校に関する情報は残念ながら不明ですが、地元の小学校ではないかと思われます。
栗原恵の中学時代
地元の中学へ入学
中学校は、広島の能美中学に進学。
中学1年時には、身長が176cmを超えていたそうです。
なんの迷いもなく、バレー部に入部したそうです。
中2から強豪校に転校
中学2年生になったばかりの頃、兵庫県にあるバレーの強豪校からオファーを受けたそうです。
強豪校へ行きバレーボールの練習を見た時に、今までやっていたものとは全然違うことで衝撃を受けたのだそう。
しかし、小学校時代の友達や両親とも離れ、一人でやっていけるのか不安だったそうです。
「どっちにしても後悔するのだったら、どっちの後悔の方がいい?よく自分で考えてごらんなさい。」
と母親に言われます。
そして、家族と離れて兵庫県へ転校することを決断したそうです。
中学2年から一人暮らし!
バレーボール留学というかたちで、近畿地区でも有名なバレーボール強豪校、兵庫県姫路市の大津中学校へ転校しました。
バレー留学というので寮に入ったのかと思いましたが、なんと中学の近くにマンションを借りて、一人暮らしをしていたそうです。
中学の近くにマンションを借り、友人の家族にお世話になりながらの学校生活が始まりました。
これまで助けてくれた両親や相談に乗ってくれた兄がいない生活ですから、それは大変でした。その上、転校先の中学のバレーボールのレベルが想像以上に高くて、ついていくのに必死でした。
バレーボールがしたくて自分で望んだ転校だったのに、監督は「勝つバレー」を目指していたので、バレーボールが楽しいなんて思えなくなって……。あの頃の私は、笑うことを忘れて無表情になっていたと思います。バレーボール選手としてやっていくには、「バレーが好き ! というだけでは続けていけないんだ」ということを、中学生のときに初めて強く感じたのを覚えています。
そんなつらい練習にも耐えられたのは、友達がいたからだと思います。
プライベートではつらい気持ちをほぐしてもらうなど、友達にずいぶんと助けてもらいましたね。引用元:厚生労働省
友人宅の前に部屋を借り、食事や洗濯は、その友人のお母さんが世話をしてくれたそうです。
中学校から親元を離れて一人暮らし、レベルの高いバレーの学校に転校し、とても大変だったと思います。
くじけそうな時は、母親のからの手紙を読んで、心の支えにしていたそうです。
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栗原恵の高校時代
高校は山口県防府市にあるバレーの強豪校、三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学。
練習がとにかくきつく、体育館と隣にある寮の往復で、コンビニにも行けないほどだったそうです。
高校1年のときからレギュラーで先輩たちと試合を共にし、相当なプレッシャーの中で生活していたそうです。
高校で日本代表に
高校では二度のインターハイ、国体、春高バレー優勝と、高校4冠を達成。
さらに高校在学中の2001年に全日本女子に初選出され、高校3年次の2002年に日米対抗に出場し、代表デビューを果たしています。
高校ではストレスでけいれん
そんな大活躍だった高校時代ですが、高2の時にはストレスからコート内で痙攣してしまったこともあったそう。
自分のせいで試合に負けてしまったことが、大人になってもずっとトラウマになっていた、と語っています。
高校2年のときまでに4冠を獲得して、いよいよ5冠目のタイトルがかかった試合の最中のことです。
ストレスから、コート内で体がけいれんして動けなくなってしまったんです。結局、自分のせいで試合に負けてしまったことが、その後ずっとトラウマになっていました。
今思い出しても、つらい体験ですね。自分からこの話ができるようになったのは、つい最近になってからなんですよ。
何とか話せるようになった今は、失敗した自分を受け入れられるようになったということですね。引用元:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/parent/case/interview/interview_02_sub2.html
プレッシャーと戦い、自分の失敗で試合に負けたりと、大変な経験を積んだ高校時代を送ったようです。
しかし、高校時代の経験が、生涯忘れられない貴重な3年間となったと言います。
今でも「バレーボールの土台は高校にあります」と胸を張って言えるそうです。
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栗原恵の高校卒業後
栗原恵さんは高校を卒業し、2003年にVリーグのNECレッドロケッツに入団。
その11月にワールドカップに出場しています。
そして2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックに出場し、5位に入賞しています。
2012年のロンドンオリンピックは怪我のため、代表には選ばれませんでした。
この時は大きな挫折を感じたそうです。
その後2016年には大きな病気を患っていたようですが、公表していませんでした。
2016年に脳血栓で緊急入院
プロ14年目の2016年9月に「脳血栓」を患い、緊急入院をしたそうです。
血栓とは血管の中でできる血液の塊で、最悪の場合には死に至ることもある危険な病気です。
病名を告げられたときのことを栗原さんは「実際に医師から麻痺が残った人がいるという話を聞いたときに、ちゃんと日常生活が送ることができる状態になるのかと、お話を聞いたときはパニックでした」と振り返る。
引用元:https://www.fnn.jp/articles/-/22785
このような重い病気にかかっていたことは、引退後まで明かされていませんでした。
相当な努力をされて復帰されたことがうかがえますね。
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栗原恵の引退後
17年間のプロバレーボール選手生活のあと、2019年6月に引退しています。
引退後は、美容と健康と食育のスペシャリストの資格「ファスティングマイスター」や「健康美容食育士」の資格を取得し、食に対する知識を深めているようです。
引退前の2012年から芸能事務所LDH JAPANに所属し、現在ではタレント活動もされています。
こちらはファンミーティングの会場でご両親と撮った写真。
また、母校での講演会活動や、バラエティ番組などにも出演しています。
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栗原恵プロフィール
- 生年月日: 1984年7月31日
- 出身地: 広島県佐伯郡能美町(現江田島市)
- 身長: 187cm
- 体重: 68kg
- 血液型: B
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まとめ
今回は元プロバレーボール女子日本代表のエースだった栗原恵さんについて、中学時代から現在までについてお伝えしました。
中2から一人暮らしでバレーに打ち込み、選手時代は様々な経験をされてきたようですね。
大病も患ったことで、現在では食の資格をとって知識を深められています。
栗原恵さんの今後の活躍にも注目していきたいと思います!