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トリルダイナスティの経歴は?英語も音楽も苦手で全米1位を獲得ww

トリル・ダイナスティ
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音楽プロデューサーのトリル・ダイナスティさん。

手掛けた楽曲がBillbord全米1位を獲得しました。

そんなトリル・ダイナスティさんは、音楽がもともとは得意ではなかったそうです。

また英語は今も出来ないそうですが、どのように全米1位の快挙を達成したのでしょうか。

今回は、そんなトリル・ダイナスティさんの経歴についてお伝えします!

トリル・ダイナスティ・プロフィール

出身地:茨城県北茨木市
誕生:1992年生まれ
年齢:28歳
本名:石井大樹?

トリル・ダイナスティは音楽が得意ではなかった!

トリル・ダイナスティ

音楽プロデューサーであるトリル・ダイナスティさんは、1992年生まれの北茨城出身です。

本名はダイキ

アメリカの人気ラッパー、リル・ダークの楽曲「The Voice」のプロフュースをして、その曲が全米ビルボード1位を獲得しました。

 

そんなトリル・ダイナスティさんですが、元々音楽が得意ではなかったそうです。

野球少年だった!

トリル・ダイナスティさんは野球少年で、野球ばかりやっていたそうです。

3歳ぐらいからキャッチボールをして、大学2年ぐらいまでやっていたそう。

Hiphopもジャズも聞いたこともないぐらいで、好きなアーティストは、コブクロ、ミスチル、B’zだったそうです。

なんと、音楽もそんな好きじゃなかったというので驚きです。

そんな自分が今音楽をやっていることは不思議だと言います。

21歳からDJの道へ!

トリル・ダイナスティさんは、21歳から、地元のクラブでDJを始めました。

学生時代に知り合いの影響で、HIPHOPと深く接したことがきっかけだったそうです。

決して人気のある楽曲をかけていたわけではなく、自分の好きなコアな音楽をかけていたそう。

周りからの勧めもあり、24歳から作曲を始めることにしたそうです。

24歳から作曲を始めるがドレミも分からなかった!

トリル・ダイナスティさんは、楽譜も読めずドレミも分からなかったそう。

もちろんキーボードも決して得意ではなく、自分の頭に浮かんだメロディや鼻歌を録音し、手探りで音を探しながら作っているそうです。

実際にトリル・ダイナスティさんが曲を作っている様子がこちら。

 

指が上手く動かせないと言いながらも、素敵なメロディを次々と生み出しています。

先生がおばあちゃんの音楽教室が家から5分くらいのところにあり、短期間だけピアノは習ったそうです。

独学で音楽を作り始めて、これまでに約2000曲も作ってきたのだとか。

つい先日まで町工場で働いていたそうなので、仕事をしながら作曲もしていたようです。




トリル・ダイナスティは英語が出来ない!

自分の曲をSNSのダイレクトメールで、海外のプロデューサーに地道に送り続けたそうです。

トリル・ダイナスティさんは、英語が出来ないそうです。

Google翻訳を活用!

海外のプロデューサーにDMを送る時には、今でもGoogle翻訳を使っているといいます。

最初はDMを送っても、相手にされなったそう。

その理由は、英語が出来なかったことではなく、気持ちを込めてメッセージを送っていなかったことだと言います。

その内容は、「自己紹介、日本人の作曲家で有名になりたい、自分の曲を聞いてくれないか」といった簡単なものだったそうです。

しかし、DMは手段で、きちんと魂を込めることが重要だといいます。

一人では何も出来ない!

DMを送る時も、一人で作って一人でプロモーションしても限界があり、

好きなアーティストを巻き込んでいったことが成功のカギだったと言います。

Lil Durk (リル・ダーク)さんが好きで、プロデュースしている人を巻き込んでいったのだそう。

プロデュースしている人間と一緒に作曲することが出来れば0%が10%…20%になるかもしれない。

という思いでやってきたそうです。

「他力本願というか一回そのフローを作っちゃえばあとは自分でできる。」

とインタビューで語っています。

最初の返事は有名音楽プロデューサーから

最初に返事をくれたのは、音楽プロデューサーのディアッパー・ゴートさんだったそう。

「気持ちが伝わったから連絡した」と言われたのだとか。

その時のことは忘れられないといいます。

それから様々なアーティストなどを紹介してもらい、人脈も広がっていったそうです。

トリル・ダイナスティの現在は?

トリル・ダイナスティさんは楽曲提供者として、まだスタート地点にたっただけだと思っているそうです。

週5で働いていた町工場も辞め、今はなんと、朝8時から夜中の3時4時まで作曲しているそう。

今は机でそのまま寝てしまい、膝の上には猫が2匹寝ているのだとか。

マリンとノアという名前で、家の駐車場に捨てられていたそう。

この猫たちを拾ってから数日後に作曲の話が決まり、本当に招き猫だといいます。

今はこの猫といることが何よりも癒しなのだそうです。




まとめ

今回は日本人の音楽プロデューサーのトリル・ダイナスティさんの経歴についてお伝えしました。

音楽も英語も苦手だった野球少年から、世界で活躍する音楽プロデューサーとなりました。

今後の活躍にも注目していきたいと思います!