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西村賢太の父親の事件とは?家族解体で中卒後は一人暮らしの過去

西村賢太の父親や家族は?
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芥川賞作家の西村賢太さんは、中学卒業後から1人暮らしで、アルバイト生活を送っていました。

子供の頃は比較的裕福な家庭だったそうですが、父親の犯罪によって生活が変わってしまったそうです。

今回は、西村賢太さんの父親の事件や、その後の暮らしについてお伝えします。

西村賢太の父親の事件とは?

作家の西村賢太さんは、小学校5年生の時に父親が強盗強姦事件を起こして逮捕されています。

母親は一か月も経たないうちに家業の運送業の後始末をし、離婚を手続きを進めたそうです。

父親は厳しい人で、口答えなどしたら、すぐ手が出てくるタイプだったそうです。

母親は、拘置所の面会室で一方的に離婚を迫ったことで、父親が刑期を終えて出所後、報復を恐れていたといいます。

加害者家族ということもあり、賢太さんと、14歳の姉、母親の3人で、夜逃げのように家を出たそうです。

江戸川区の小学校から千葉県船橋市原木中山へ転居。

その後、小学校6年に進級する際、東京都町田市へ引っ越しています。

西村賢太の子供時代は裕福な家庭だった

祖父の代から続く運送業者を営む家庭で、子供の頃は比較的裕福だったそうです。

父親は外車マニアで、数年ごとに車を乗り換えるのが趣味だったといいます。

家族で土曜の夜には、焼肉などの外食に行くことも多かったそう。

金銭面では何不自由ない生活を送っていたそうですが、父親が逮捕され両親が離婚

母子家庭となった後、生活は苦しかったといいます。

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中学3年の2学期から不登校に

西村賢太さんは、小学校の時から勉強は苦手で、中学に入るとなおさらついていけなかったそうです。

アルファベットも覚えられず、算数から数学になると何も分からなくなったいいます。

また、中学3年の時に、父親の犯罪が性犯罪だったことを知り、ショックで不登校になってしまったそう。

元々勉強が苦手な上に不登校となり、行ける高校も見当たらず、進学をあきらめたといいます。

その時のことを、西村さん自身はこう語っています。

行ける高校も見当たらないし、定時制に入る意志もなかったので、学校に行ってもムダだと思ったんです。だったら朝もゆっくり寝て、一日自分の好きなことをしていたほうが有意義じゃないですか。その時点で人生を投げていたんでしょうね。夢もまったくなかったですから。

僕はのんきなところがあって、不思議なぐらい不安じゃなかったんですよ。

 

小学校の頃から引きこもりの部分があり、家で好きなことをする方が良かったそうです。

母親が仕事で疲れていたこともあり、深夜のテレビドラマを見ても怒られず、自由な生活を手に入れたといいます。

「必ず何とかなるだろう」という変な自信もあったそう。

中学卒業後は家を出て、東京の鶯谷で一人暮らしを始めました。

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家族解体で中卒後は一人暮らしの過去

最終学歴が中卒だったことから定職に就くことは難しく、日雇い仕事を転々としたそうです。

その日暮らしで、家賃も滞納するほど生活は困窮していたといいます。

母親には23歳まで、お金を無心していたそうです。

しかし、西村さんから連絡がこないよう、母親が行方をくらましてしまい、それっきり会ってないとのこと。

また、姉も18歳で家を出てからは、一度も会ってないといいます。

その後の暮らしは?

中卒で職を転々とし、風俗店が好きで借金しながらも通い続けている、というイメージだった西村賢太さん。

芥川賞を受賞するまでフリーターと報じられていましたが、その前にも賞を受賞していて、30代半ばで年収は480万円あったそうです。

2004年に「けがれなき酒のへど」で文学界同人雑誌優秀、2007年には「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞。

2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。

芥川賞を受賞してからは、過去の作品も売れたため年収は10倍、5200万円になったと報じられました。

<西村賢太プロフィール>

生年月日: 1967年7月12日
出生地: 東京都 江戸川区
最終学歴: 中卒
主な受賞歴: 野間文芸新人賞(2007年); 芥川龍之介賞(2011年)
映画: 苦役列車

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まとめ

今回は西村賢太さんの父親の事件と、その後の西村さんの生活についてお伝えしました。

父親が逮捕されるまでは比較的裕福だったものの、事件の後は母子家庭で苦しい生活に。

更に高校に進学しなかったことから定職につけず、フリーターとして暮らしていたようですね。

芥川賞を取る前にも賞をいくつか受賞し、生活には困っていなかったそうです。